フィギュアスケート界のレジェンドとして、世界中から称賛される羽生結弦さん。
尊敬する彼の人間像を深堀してみました。

彼の人間性や思想、そしてスケートへの情熱は、どこから来ているのでしょうか。
この記事では、羽生結弦の幼少期から現在までの生い立ちや経歴を紹介し、彼が歩んできた道と、彼が示す生き方について考えてみたいと思います。
※この記事は、アフィリエイト広告を使用しています。
喘息克服から始まったスケート人生
羽生結弦さんは1994年12月7日、宮城県仙台市泉区に生まれました。
の偏差値と生い立ち、そしてフィギュアスケートデビューのキッカケ-_R.jpg)
2歳の頃から小児喘息を患っており、その克服のために4歳からスケートを始めました。
きっかけになったのは、彼の姉がスケート教室に通っていて、スケートに興味があり「滑ってみたら滑れた!」というところからだったらしいです。まさに運命ですよね。

当時はあまり練習熱心ではなく、自主性を重んじる父親からは「辞めたいなら辞めればいい」と言われていたらしいです。しかし、6歳の時に見た2002年ソルトレイクシティオリンピックでのプルシェンコの演技に感動し、本格的にスケートに打ち込むようになったと話しています。
天才少年と呼ばれた小学校時代
小学校低学年の頃から才能が開花した羽生は、全国大会や国際大会で次々と優勝を飾り、「天才少年」と呼ばれるようになりました。

彼は小学校5年生でトリプルアクセルを跳び、6年生でトリプルアクセル+トリプルトウループのコンビネーションジャンプを成功させるなど、驚異的な技術力を見せつけました。
また、演技中に笑顔を見せることが多く、観客や審判からも好感を得ていたようです。
中学・高校時代の苦難と成長
中学・高校時代は成長期と重なり、体調や体型の変化に苦しんだと語っています。
特に中学2年生の時は成長痛で足が痛くて歩けないほどで、同じ頃にコーチが変わり、新しいジャンプやスピンなどを習得する必要がありました。しかし、羽生はこの時期にも粘り強く練習を続け、ジュニア世界選手権で2連覇を達成するなど、国際舞台での活躍を見せました。

高校時代には、東日本大震災に遭いました。彼は震災の日、仙台市内の高校に通学していましたが、電車が止まって帰れなくなり、徒歩で5時間かけて自宅に戻ったらしいです。
その後、自宅は停電や断水に見舞われ、スケートリンクも被災して使えなくなり、しばらくの間、スケートから離れざるを得ませんでした。

しかし、彼はこの困難にもめげず、震災から2か月後には全日本選手権の出場権を得るための東北ブロック大会に出場しました。
彼は練習不足や体力低下にもかかわらず、見事に優勝を果たしました。その後、全日本選手権では2位となり、シニアの世界選手権に初出場しました。
彼は世界選手権で3位となり、史上最年少でメダルを獲得したのです。
オリンピックへの挑戦と栄光
羽生さんは2014年ソチオリンピックに向けて、さらに技術や表現力を磨きました。彼はグランプリシリーズで2連勝し、グランプリファイナルでも優勝しました。
また、全日本選手権では自身初の4回転ジャンプを成功させ、日本記録を更新しました。

ソチオリンピックでは、ショートプログラムで世界記録を更新し、首位に立ちました。フリースケーティングでは4回転ジャンプで転倒するなどミスがありましたが、それでも十分な点数を稼ぎ、金メダルを獲得しました。彼は日本人男子として初めてオリンピックの金メダリストになったのです。

2018年平昌オリンピックでは、前年に右足首を負傷し、長期間の休養や治療を余儀なくされオリンピック直前まで競技会から遠ざかっていたので、万全の状態ではありませんでしたが、見事な演技を披露し、ショートプログラムとフリースケーティングの両方で首位となり、金メダルを防衛したのです。

彼は男子シングルとして66年ぶりにオリンピック2連覇という偉業を達成しました。
スケート以外の活動と趣味
羽生結弦さんはスケートだけでなく、他の分野でも活躍しています。

2018年からは早稲田大学の文学部に在籍し、スケートと並行して学業にも励んでいます。彼はスケートに関する論文やレポートを書いたり、スケートの歴史や文化について学んだりしています。また、彼は自身の経験や思考を本やエッセイにまとめたり、テレビや雑誌などのメディアに出演したりしています。

彼は趣味として、読書や音楽鑑賞、アニメや漫画などを楽しんでいます。特に推理小説やファンタジー小説が好きで、東野圭吾や村上春樹などの作品を読んでいるらしいです。
音楽では、ONE OK ROCKやRADWIMPSなどのロックバンドが好きで、自分でギターを弾いたり歌ったりすることもあるとのこと。アニメや漫画では、進撃の巨人や鬼滅の刃などの人気作品を観たり読んだりしていると語っています。
羽生家の家訓と人間性
羽生さんは家族から多くの影響を受けています。彼は父親から「自分の道を決めるのは自分だ」という教えを受けました。父親は羽生がスケートを始めた時から、彼に自主性や責任感を持たせるようにしていたらしく、彼が試合に出るたびに、「勝っても負けても笑って帰ってこい」と言って励ましていたらしいです。

母親は最大のサポーターであり、彼がスケートを続けられるように尽力されたようです。彼が練習するために仙台市内のリンクに通う際に、毎日車で送り迎えをしたり、試合に出る際には必ず現地に駆けつけて応援したとのこと。
彼には、スケートを始めるきっかけを作ってくれた姉が居て、10年ほど一緒にスケート教室に通っていたらしいですが、経済的な理由から姉はスケートを止めて、彼のサポートを始めたらしいです。
羽生結弦さんは家族以外にも多くの人々から尊敬され愛されています。
彼はコーチやトレーナー、チームメイトやライバル、ファンやメディアなどとも良好な関係を築いています。常に礼儀正しく謙虚であり、相手を尊重し感謝する態度を見せています。また、彼は自分の意見や感情を素直に表現し、時には涙や笑顔を見せることもあります。
羽生結弦の生き方とは

羽生結弦の生き方とは、どのようなものでしょうか。
・自分の夢や目標に向かって、情熱と努力を持って挑戦する。
・自分の道を自分で決めるが、周りの人々からの支えや助言を受け入れる。
・自分の強みや弱みを認めるが、常に向上心を持って新しいことに挑戦する。
・自分の成果や失敗を素直に受け止めるが、自分に甘えることなく反省する。
・自分の感情や思考を隠さないが、相手の立場や感情を考える。
・自分の個性や趣味を大切にするが、他者の個性や趣味も尊重する。
・自分の存在や価値を誇りに思うが、自慢することなく謙虚である。

羽生結弦さんは、スケートだけでなく、人間としても素晴らしいと思います。
彼は私たちに多くの感動や勇気、希望や夢を与えてくれています。自分らしく生きることの素晴らしさや難しさ、楽しさや苦しさ、羽生結弦という生き方を見せてくれました。
私は彼に心から感謝し、尊敬し、応援しています。あなたはどうですか?
彼が、結婚という新たなステージに進まれたこと、そしてこれから始まる彼の人生が幸多からんことを心から願います。
ご結婚、本当におめでとうございます。