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伊藤常足翁旧宅

天明6(1786)年11月、伊藤常足翁が13歳の時に建てられたもので
平成元~2年、ふるさと創生事業によって残されていた屋敷図などを基に復元が行われました。


神職の家ではありますが、一般的な農家の構えで、広い土間、牛舎も付設されていたらしいです。


伊藤 常足(いとう つねたり)

伊藤常足翁 1774年~1858年
江戸時代末期の国学者で歌人でもあった伊藤常足翁は藩を代表する教育者でした。
経歴
筑前国鞍手郡古門村(福岡県鞍手町)古物神社に奉仕する神職の家に次男として生まれ、22歳から3年間,福岡に出て亀井南冥の家塾で儒学を学んだ後、

青柳種信(本居宣長の高弟)に国学を学び35歳を過ぎて京周辺に遊学し伊勢参宮を果たされたとのこと。

松阪を訪れて本居大平の門人となり、伴信友や足代弘訓と共に学び香川景樹ら当時一流の文人と交際されていたとのことです。

自宅に私塾を開き、国学・和歌を教え、桜井文庫の創設などにも関与されました。
『太宰管内志』全82
文化1(1804)年から九州全域の地誌編纂を志し天保12年(1841年)68歳の時に『太宰管内志』全82巻を37年かけて書き上げ、福岡藩献上するなど多大なる功績を残されています。

著作には
『太宰管内志』 – 九州全域の詳細な地誌。
『槙家集』 – 家集。
『百社起源』
『古寺徴』などがあります。
『太宰管内志』は江戸時代に編集された本で、それまでに伝えられた九州全域の地誌が載せられています。

天皇中心の明治以降のものではないことで、その影響を受けることのない内容なだけに貴重な文献として古代史研究に活用されている本の1つです。
地誌とは、自然・社会・文化などの地理的現象を記述してその地域の特色を示したもので、
特定の地域に関する説明や研究のことです。
古物神社(ふるものじんじゃ)

もともと剣神社、八幡宮だったのが、江戸時代に台風で剣山の上の神社が倒壊したために、ここに合祀し大正時代に布留神社からも合祀したということです。


そして、明治4年に神祇官の依命が村の名前の旧号を取って、古物神社と改められたらしいです。

沢山の歴史がある神社で多くの神々が祀られているようですね。
多くの歴史や文化が残っている土地だということを改めて知りました。

勉強不足で十分にお伝え出来なくて申し訳ありません。
今日も最後までお付き合い頂き本当にありがとうございました。
see you next a beautiful place.